2011年 05月 17日
随分日が経ってしまったが、赤坂プリンスが昨年度の3/30をもって閉館するとのことで、急遽3月26日の最終土曜日に宿泊した。部屋は36階見附の交差点側。バブル期シティーホテルの代名詞でありステータスであった赤プリ。丹下健三をアーキテクトに起用し、構造は鹿島建設のエース播繁が担当。屏風を広げたような象徴的な外観は、ほぼすべての客室にコーナーウインドウを設けることが出来、意匠・機能共に満たした画期的な試みであった。 客室天井高さはCH=2400と住宅的なスケールで決して高くは無いのだが、横に開けたコーナーウインドをL字型ソファーと一体的に納めており、派手さは無いがじつにスマートに客室空間を演出している。 また、エーロ・サーリネンのラウンジテーブル、テーブルスタンド、デスクチェアーなど正統派モダニズムな備品でコーディネートしており大変美しい統一性を感じた。 最上階のレストランとBARは雁行し連続するコーナーウインドウと鏡を貼り存在感を消した柱がクリスタルに共鳴し、床段差のある空間とサーリネンの家具が硬質かつ艶っぽい空間を演出している。このような時代を象徴するホテルが解体されてしまうのは残念でならない。じつは小生、バブル真っ盛りの学生時代、このホテルの宴会サービスでバイトしていたのだ。確か時給1200円だったと記憶している。あの当時は巨大宴会場クリスタルパレスでは毎日のようにパーティーが開催されており、トップオブ赤坂では着飾ったカップルで盛況であり、たくさんのコンパニオンがホテル内を闊歩するような浮かれた時代だったのだ。この時期に僕個人はホテルのサービス動線の重要性や空気感、舞台裏というものを習得していたようだ。当時漠然とホテルへの憧れがあったが、現在は幸か不幸かホテル専門の設計部門にいる。現在のような不況期において、ホテルは真っ先にダメージを受け苦しい状況なのだが、ホテルは都市には必要不可欠な存在。必ずや新しいホテル文化が現れるだろう。この日は世間は震災直後の委縮した状況であるはずだが、ホテルは閉館を惜しむ人たちで大盛況であった。閉館後は解体までの数カ月被災地の避難民を受け入れる。最後にもう一仕事がんばって。そして短い時間であるが、バイトを通して僕の人生経験を豊かにしてくれたことに感謝。ありがとう赤プリ。
by canalscape
| 2011-05-17 01:06
| ART・建築・街
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